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掲示板-2004年12月の過去ログ

2004年12月の過去ログ

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724.今年もお世話になりました。
名前:タビスケ(スタッフ)    日付:2004年12月31日(金) 21時59分

タビスケです。
皆様こんばんは。今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

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723.つばめ上洛リポート・5
名前:スタッフ(つばめ)    日付:2004年12月29日(水) 1時46分
  

続いて、壬生寺(みぶでら)へとやってまいりました。

壬生は、言わずと知れた「新撰組」最初の屯所が置かれた地です。
‥正確には、江戸に帰る清河八郎と袂を分かち京に残った近藤勇らがこの壬生で屯所を構え、やがて正式に「会津藩お預かり」となり、松平容保公から「新撰組」の名を与えられた旗揚げの地‥ということになります。

この壬生寺は、主に隊士の調練(武芸や大砲の訓練)の場として使われたのですが、余暇には沖田総司らがその境内で近所の子供たちと遊んだ、とも伝えられています。

現在は‥広い境内はもとより、敷地内にある「壬生塚」が当時を偲ばせます。
壬生塚には、近藤勇の胸像と遺髪塔、そして屯所で暗殺された芹沢鴨、平山五郎や切腹した隊士らの合祀墓があり、志半ばで散っていった隊士の御霊が今は安らかに眠っているのです。
ところで‥この墓に刻まれた隊士の名に「田中伊織」なる人物がいるのですが‥やはり「新見錦」の別名なのでしょうか?
(ご存知の方、教えてください!)

ここから2~3分も歩けば、屯所となった「八木邸」や「前川邸」があります

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721.ASIAN KUNG-FU GENERATION
名前:くみこ    日付:2004年12月18日(土) 17時52分
ぴあのお店での店頭発売はあるのでしょうか?
(16~20歳/埼玉県)

722.Re: ASIAN KUNG-FU GENERATION
名前:ミヤケ(スタッフ)    日付:2004年12月22日(水) 21時0分
くみこさん、返信遅くなってごめんなさい。お問い合わせの件ですが、
3/16の宇都宮VOGUEと3/26の高崎 club FLEEZ
の公演のみチケットぴあでの店頭販売はありません。
それ以外の公演の発売は明日12月23日の午前10時からとなります。本当にご回答が遅くなってごめんなさい・・・。

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710.つばめ上洛リポート・1
名前:スタッフ(つばめ)    日付:2004年12月1日(水) 22時59分
 

こんばんは、つばめです。

さて皆さん、以前お話しをしました「歴史探訪の旅」のことを覚えていますか?
予告通り行ってまいりました・・京都へ!

今回はどっぷり「新撰組」です(笑)。
ゆかりの地は市内に数多く点在していますが、特に思い入れのある史跡を歩いてみましたのでご紹介したいと思います。
お時間のある方、どうぞお付き合いください・・。

旅の始まりは寝台急行「銀河」にて、京都へ。
かなりくたびれた感のある車両ですが、今回の「タイムスリップの旅」
にはそれがかえって色を添えてくれたように思えました。

初めてのA寝台だったのですが、幅広のベットが進行方向に平行に配置されており、何の苦労もなく熟睡することができました。
・・時折運転士さんの「急発進」があり、その衝撃で飛び起きましたけどね(笑)。やがて意識は遠のいていったのでした・・。


712. つばめ上洛リポート・2
名前:スタッフ(つばめ)    日付:2004年12月2日(木) 23時32分

快晴の京都に到着しました。

京都を訪れるのは3年ぶり、じっくり観るのは実に7年ぶりです。
まず驚いたのは、暖かさ!・・この時期で、これほどに暖かいのは初めてです。
私が添乗専門の派遣社員だった頃、秋になれば修学旅行の添乗で月に24~25日は京都にいたのですが、あの時の”ピキーン”とした張りつめたような寒さがないのです。
これも地球温暖化の影響でしょうか。地球が悲鳴をあげているのかもしれませんね・・。

バス乗り場に向かう途中、京都駅烏丸口2階コンコースで大河ドラマ「
新撰組!」展のコーナーを発見!
さらっと一回りもすれば、史跡探訪への気分も高まります(笑)。

まずは、黒谷(くろだに)の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)を目指します・・


719.つばめ上洛リポート・3
名前:スタッフ(つばめ)    日付:2004年12月13日(月) 20時26分
 

黒谷にたどり着きました。お待ちかねの金戒光明寺です。

ここは、京都守護職を任命された会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)公がその本陣を張った古刹…。

私自身、今回の探訪で最も楽しみにしていた場所でもあります。
まずは、南側の岡崎神社参道脇の小道から境内へ。今回のお目当ては、今月15日まで特別公開されている『拝謁の間』です。


720.つばめ上洛リポート・4
名前:スタッフ(つばめ)    日付:2004年12月14日(火) 23時2分
 

広い本堂(御影堂)に入ると、正面右側の出口から伸びる廊下があり、その奥に『拝謁の間』があります。

特別公開のエリアは全面的に撮影禁止の為、この場でその様子をご覧いただけないのは本当に残念なのですが、当時そのままの雰囲気を十二分に満喫できるものでした。

文久三(1863)年三月十六日、京都守護職お預かりとなった浪士組の近藤勇と芹沢鴨はこの場で会津公に拝謁が叶うのです・・。
この時、近藤や芹沢とともに京に残った浪士組の残党が後に『新撰組』となるのは、皆さんもご存知のとおりです。

拝謁の間で、私はしばらく動くことができませんでした‥。
言い伝えによると、近藤と芹沢は恐縮のあまり最初はこの間に入ることができず、廊下から容保公と対面し、促されてようやくこの間に一歩入ったと聞きます。
近藤が座したと思われる辺りに私も腰を落ち着け‥う~ん、しみじみ。

『新撰組』発祥の地‥探訪の旅で最初に訪れて大正解でした。

後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、三門を抜けて今度は西側の『高麗門』へ。先程の南側とは比べ物にならないほどの、城門の様な頑丈な造りの大きな門です。

‥ここで疑問がひとつ。なぜ南の大通り(丸太町通り)側には小門しかないのか?
謎は、先程『拝謁の間』入口で求めた資料を読み返してみることであっけなく解けたのでした。

その昔、徳川家康は幕府を磐石なものとするために、二条城を作り京都所司代を置いたのですが、何かあった時に軍隊を配備できるように黒谷と知恩院をそれとわからないように城構えとしたようです。
実際、南側に大きな門がないので一気に大群が押し寄せられないようになっていました。
しかも黒谷は小高い丘となっている為、まさに自然の要塞なんですね。

それにしても‥三門脇にある『くろだに幼稚園』の子供たち、やけに元気です。ちらっとお得意(笑)の百面相のごく一部を披露したら、きゃっきゃ言って喜んでました。

●金戒光明寺へのアクセス
京都市バス「岡崎道」下車徒歩5分
同「東天王町」下車徒歩10分
※京都駅からは5系統岩倉行きに乗り「東天王町」下車が便利です。

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708.なにわバタフライ
名前:おさる    日付:2004年12月1日(水) 12時46分
店頭販売ありますか

709.お問い合わせありがとうございます
名前:かーたん(スタッフ)    日付:2004年12月1日(水) 21時21分
こんにちは。

今週末発売の公演ですよね。
詳細が明日発表になりますので、明日書きますね。

よろしくお願いします。


711.Re: なにわバタフライ
名前:スタッフ(つばめ)    日付:2004年12月2日(木) 9時47分
おさるさん、おはようございます。

さてお問い合わせの公演ですが、「店頭発売あり」とぴあ本部より発表がありました。お一人様1公演のみ2枚までの枚数制限がついております。
・・ただ、前評判の非常に高い人気公演です。当日はかなり並ぶ方も多いと思いますので、がんばってトライしてみてくださいね。

お問い合わせありがとうございました。