
探訪の旅のラストは、新撰組京都滞在中で最後の屯所となった「不動堂村屯所跡」で飾りたいと思います。
新撰組は発足後、壬生村(八木邸・旧前川邸他)を最初の屯所としてから滞在中に2度屯所を移しています。
壬生の屯所が手狭となり、初回の移転先となったのが「西本願寺」(厳密には、西本願寺の敷地内の「太鼓楼」)でした。
‥ところが、住職たちは彼らを快くは思いません。
このお寺自体、勤王派の僧侶が多く長州藩寄りであった土壌もあるのですが、境内で砲術の練習をしたり、捕縛した尊攘派らの拷問や処刑をしたり、豚を飼育して屠殺し鍋を作ったり‥が繰り返され、さすがに堪えかねたようです。
そこで、引き払って欲しい一心で西本願寺が建築費を全額負担して建てたのが新しい「不動堂村屯所」なのです。
その広さは1万平米を誇り、30人が一度に入れる大浴場があるなど、大名屋敷さながらの規模と設備だったとのこと。
広さが広さなだけにその敷地の正確な範囲ははっきりとしませんが‥敷地の一部が、現在の「リーガロイヤルホテル京都」「資生堂京都ビル」「ハトヤ瑞鳳閣」あたりにかかっていたという説が有力です。
(資生堂ビル以外の2ヶ所には、その跡地であったという碑や立て札があります。写真はいずれもハトヤ瑞鳳閣のもの。)
これだけ立派な造りの新・屯所でしたが、時代の背景もあり使用された期間は3つの屯所の中で最も短く(彼らが幕臣として取り上げられた直後の慶応3年6月15日から、伏見奉行所に移る12月16日までのわずか半年間)、はかなくも悲しい新撰組の歴史の中で一瞬見せた栄華の象徴に思えてなりません。
余談ですが、近藤と袂を分かって御陵衛士となった「高台寺党」の伊東甲子太郎が襲われ絶命した本光寺や、新撰組と高台寺党が死闘を繰り広げた「油小路の変」の舞台である七条油小路の辻はここから程近いところにあります。
そういえば‥この「ハトヤ」の隣にある「武田病院」には幾度となくお世話になったなぁ。なぜかって?ヒミツです(笑)
●不動堂村屯所跡(ハトヤ瑞鳳閣)へのアクセス
JR東海道線他「京都」(烏丸口)下車徒歩5分
※敷地内にあったとされる他の2ヶ所も、ハトヤから徒歩2~3分の距離です。
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